戻る 使い方を表示
名前 教興寺(きょうこうじ)
分類 史跡
画像
指定文化財 未指定
解説  教興寺は、飛鳥時代における物部守屋との戦いの後に、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子の発願を受けて創建したと伝えられ、高安寺ともいい俗に薮寺といわれています。
 周囲には「寺池・大門・重頭池」といった地名が残っており、発掘調査で飛鳥時代後期の瓦や土器が見つかっています。
 しかし、鎌倉時代には荒廃していたようで、西大寺の僧 叡尊(えいそん)によって復興(ふっこう)され、真言律宗西大寺(しんごんりっしゅうさいだいじ)の末寺として現在に至っています。
 復興した教興寺には仏舎利(ぶっしゃり)が納められ、地域住民に菩薩戒(ぼさつかい)が授けられ、蒙古襲来の「文永(ぶんえい)・弘安(こうあん)の役」の時には、異国降伏(いこくこうふく)の祈祷が行われました。
 室町時代には、足利直義(あしかがただよし)によって諸国に建てられた安国寺及び利生塔(りしょうとう:南北朝期の戦死者の追善)が置かれるなど、河内を代表する寺院でありました。
 しかし、永禄(えいろく)五年(1562)に河内国守護の畠山高政(はたけやまたかまさ)と三好義興(みよしよしおき)、松永久秀(まつながひさひで)との教興寺合戦で全焼しましたが、江戸時代に浄厳和尚(じょうごんわじょう)によって再興されましたが、明治18年の台風で本堂が倒れ、旧客殿を仮本堂としています。
種類 寺院
時代 飛鳥時代・鎌倉~江戸時代
関連する文化財
場所 B地区
所在地 八尾市教興寺7丁目
地図